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プロフェッション精神の保持


リバティ税理士法人は、経営理念の一つとして、プロフェッション精神を掲げ、それを保持できるよう環境を整え、常に研鑽に励みます。

プロフェッションとは?

最近ではプロフェッション精神を有する専門家はほとんど見受けられなくなってしまいました。まずは「プロフェッションとは何か?」を知ることが、専門家が基本(本来あるべき姿)に立ち戻る第一歩となりましょう。

伝統的プロフェッション

プロフェッションの精神を知るためには、中世のヨーロッパまで遡ります。

中世ヨーロッパにおいては、高等教育を受けた人々が、神前において自らの行いを憾悔し、その国家の人々・社会の利益・公共の利益(Public Interest)に貢献するということを神に誓う行為がプロフェス(profess)でした。

そしてprofessを行って初めて、その者は社会的に認知された職業人(profession)になれるとされていました。ここで重要なことは、身を挺してでも他を守るといった騎士道のような精神、すなわち、自己の利益のためでなく、社会の利益に貢献することを神に誓っていたという点です。

元来のプロフェッションという語には、上で述べたように「神」という存在を前提としている点で、宗教的思想が根底にありました。

当然その中には人間として不当な行動を行ってはならないという倫理感が存在してます。

当時のプロフェッションと呼ばれた専門職は、宗教的な精神、倫理観及びその基本精神を踏まえて、社会奉仕・非営利的な活動を行うこと、いわば利他主義的考え方を有するものとして生成したといってよいでしょう。

現代的プロフェッション

現代的なプロフェッションは、上で述べたような「神」を前提とするような宗教的な色彩からは解放されています

しかし、その職業(及び職業グループ全体)が社会の利益・公共の利益(Public Interest)へ貢献すべきこと、また、貢献することで、社会の人々から信頼を得なければならないことに変わりはありません。

目先の自己利益追求ばかりをする者はプロフェッションではありません。

それは形式的に「専門家を称する資格」を有しているだけの自己中心的存在かつその専門家集団の信用を失墜する存在です。

プロフェッションは、「自分の報酬が第一ではなく、先に社会・公共の利益へのサービス提供に義務を負うもの1」です。

専門職業がプロフェッションであるために伝統的には「神」への誓いが必要でしたが、 現代的プロフェッションは「社会の期待(社会的ニーズ)に応えることで、社会の利益・公共の利益(Public Interest)へ貢献すること」が、社会との間の契約であるといえるのです。

このような認識を有し、実践している専門家でなければ、高度な倫理観を有しているとは言えません。

専門家集団も個々の専門家の集合体に過ぎないため、現代においても、究極的には、プロフェッションである各個人が高度な倫理観を保持すべきです。

すなわち、高度な倫理観を有することはプロフェッションとしての必要条件なのです。

このような高度な倫理観に欠く自己利益最優先の専門家は、直ちに専門家を名乗ることをやめ、資格・免許を返納することが世のため人のためであるといえるでしょう。

プロフェッションとしての精神のない専門家が存在するだけで、社会や人々に迷惑(損害、厚生の損失等)を生じさせていること、また、その専門家集団全体の信用を損ねているということを、専門家個々人が自覚しなければなりません。

専門職(プロフェッション)は、自身の専門分野における職業的専門家として社会から期待・負託された社会的使命を果たす義務があるのであり、その義務を果たす気がないのであれば、専門家(プロフェッション)を名乗るべきではなく、その義務を果たせなくなりつつあるのであれば、専門家(プロフェッション)を名乗ることをやめなければなりません。

したがって、繰り返しになりますが、「プロフェッションの心構えとは、 一言で言えば、『金銭報酬を目的として働くことはせず、さらに、組織との関係性ではなく、職務・役割との関係性を重視すること』である 2 」といえます。

よくある誤解

短絡的誤解として「全て慈善事業でタダでやれというのか」というものが想定されます。

報酬を求めてはいけないのでありません。プロフェッションとしての責務を果たした正当な対価として結果的に報酬が発生するのです。

プロフェッションは「報酬が第一」ではなく、「社会的義務履行が第一」であり、その履行に付随して副次的に報酬が発生します。

「倫理」と「職業倫理」

では、現代のプロフェッションに求められている高度な倫理感とは何でしょうか。

一般的には「倫理とは、ある社会全体で公認された行動規準であり、その適用を受けるすべての人びとに対して、それへの遵守が要求される社会的規範 3」と説明されています。

次の説明の方が端的でわかりやすいかもしれません。

倫理とは、行為の善悪に関する概念である。 4

例えば、倫理の原則(ethical principles) は道徳的行動への道標となり、①正直、約束を守る、②他人を助ける、③他人の権利を尊ぶという行動は、倫理的、道徳的に望ましい行動と考えられています。

当然のこと?

一旦、立ち止まって考えてみると、
①正直、約束を守る
②他人を助ける
③他人の権利を尊ぶ

これらは「人として当然のことじゃないか」と思われる人も多いと思います。その通りです。

しかし、残念ながら、当然のことを当然として行動できない人は世の中にはたくさんいます。

他にも、人間社会の一般倫理として、次のように説明されます 5

  1. 人間の行動が自分および他の人々に及ぼす影響についての知識を持つこと
  2. 自分が住む社会が必要とすること(もの)を理解すること
  3. 人間の尊厳を重視し、義務を認め、自分が他の人々に要求することを、逆に自分が他の人々に施す義務があると常に認識すること
  4. 人間社会における倫理行為の規範を知ること

これらはあくまでも一般倫理であり、プロフェッションが有すべき高度な倫理感(職業倫理)の前提となる心構えです。


では、「職業倫理」とは何でしょうか?

「職業倫理は、社会の人々の信頼を得るために、プロフェッションの行動がどうあるべきか、という具体的、実践的な行動のルール 6」と説明されます。

つまり、職業倫理は高度な倫理観を有するプロフェッションたる専門家の行動規範といって良いでしょう。

通常、プロフェッションと呼ばれうる職業専門家には上述のような行動規範( ①理論としての職業倫理、②制度としての職業倫理、③実践としての職業倫理 )が存在しています。

プロフェッションが職業倫理を欠いた例

一級建築士の耐震偽装事件
弁護士の職務基本規程違反
公認会計士の粉飾決算への加担
税理士の過度な節税・脱税・租税回避への加担

プロフェッションとしての税理士のあり方

残念ながら、税理士業において「理論としての職業倫理」、「制度としての職業倫理」、「実践としての職業倫理」 の体系化・実践化が十分になされているとはいえません。

通常、専門家集団(税理士業でいえば税理士会や日本税理士会連合会)がこれらが有効に機能するよう整備する立場にあります。

各税理士のプロフェッションとしての十分な行動規範が整備されていないのと同然の現状では、個々人の税理士にプロフェッションの精神を求めるほかありません。

しかし、 税理士法で定められている研修を実際に受けているのは33.8%(平成21年度調査結果)であるため、およそ7割弱の税理士は「税理士法第39条の2違反」かつ「最新税制に詳しくない」可能性を否定できません。

プロフェッションとしての精神があれば、社会の期待・負託に応えるため、常に研鑽に励もうとするのは当然の姿勢であるにも関わらず、上記データを見るに、現状の税理士のほとんどにはその姿勢が見受けられないといえるでしょう。

言い方を変えれば、形式的に資格だけをもったプロでない税理士がたくさん存在している可能性を示唆しています。

つまり、現状において、個々人の税理士にプロフェッションの精神を期待し、求めても、それは多くとも3割程度の税理士しか理解・自覚していない考えられ、またそのように社会から判断され、社会から「裏切られた」とみなされうるということです。

研修を受けているからといって直ちにプロフェッションの精神を有すると判断できる訳ではありません。しかし、研修すら受けていない税理士は少なくともプロフェッションの精神を有してないとみなされてしかるべきでしょう。

専門家及び専門家集団(各税理士及び税理士会・日税連)の双方にプロフェッションとしての高度な倫理観が期待できない状態が長く続くと、その専門家及び専門家集団は社会から不必要な存在となりかねません。

社会の利益、公共の利益(Public Interest)に貢献することをしない専門家(プロフェッション)は、やがて負託者である社会から不必要な存在とみなされます。

例えば、あなたが相手に期待して何かを託しているのに、不遜な態度で裏切られ続けたら「もういいよ君。」となりますよね。

これと同様に、税理士及び税理士業全体がプロフェッションでなければ、社会から「もういいよ君たち。いらない。」と不要な存在として判断されることに繋がります。

また、一部のプロフェッション精神を有する専門家は、プロフェッション精神を有さない多数派の同業者に嫌気が指し、その業種を退出してしまいます。これが繰り返されると、その業種に残る専門家の倫理的な質は、劣悪な者しか残らないことになります。
cf)逆選択レモン市場

税理士がプロフェッションであるために

では、税理士がプロフェッションであるためにはどうすれば良いでしょうか?

以前、税理士試験の試験委員(税理士を輩出する試験の委員としての地位)であった増田氏が2018年に警鐘を鳴らした事項を列挙します。

「日本の税理士は,基本的な法律の訓練(トレーニング)を受けていない場合がほとんどである」

「税理士試験も税法の解釈適用の問題を問うのではなく,どちらかというと税額計算と通達や条文を正確に暗記しているか否かが問われる」

「日本の税理士に求められる社会的ニーズと試験制度や法教育の欠如といったミスマッチが日本の税理士の現状であり,大きな課題である」

「社会的ニーズにマッチした学識,すなわち税法の基礎理論とリーガルマインド(専門的技能)を保持し,その技能を常に向上させる努力が,プロフェッションとしての税理士に不可欠の要件である」

「税理士に求められるのは暗記偏重の思考停止型の人間ではなく,しっかり筋道を立て法的に考え抜くことができる問題解決型の人間である」

「司法試験のように六法を持ち込み可にして,税法の解釈・適用のあり方を問う試験問題にその内容を全面的に改めるべき」

「税理士の業務は近い将来にAIに取って代わられるとの警鐘は,試験問題をみる限り的を射ている」

引用元:増田英敏「続・実践租税正義学第98回」税務弘報,2018年5月、「続・実践租税正義学第99回」税務弘報,2018年7月

税理士試験の試験委員をなされた増田氏がこのように述べていることには大きな意義があります。

試験委員をされて、税理士試験や税理士業界の実態に唖然・愕然とされたのでしょう。

また、圧力に屈さず、公然と論ずる勇気は称賛されるべきです。

これらの増田氏の危機意識から特に抽出すべき事項は、

「社会的ニーズにマッチした学識,すなわち税法の基礎理論とリーガルマインド(専門的技能)を保持し,その技能を常に向上させる努力が,プロフェッションとしての税理士に不可欠の要件である」

という点です。

裏返せば、現状の税理士には、
①社会的ニーズにマッチした学識(税法の基礎理論とリーガルマインド)
②それを常に向上させる努力
の2つが欠けていることを指摘されているということです。

(①がなければ、向上させる基礎がないので②をすることは不可能です)

「税理士に不可欠の要件」を満たせている税理士はいったいどれほどいるでしょうか?

繰り返しになりますが、「社会的ニーズ」を満たせないままの専門家及び専門家集団は、社会から不要なものと判断されてしまうことに繋がります。

なお、増田氏は、「税理士の使命」として定められている税理士法第1条が、税理士のプロフェッションとしての在り方を定めたものと解釈しています。

「税理士は、①税務に関する専門家として、②独立した公正な立場において、③申告納税制度の理念にそつて、④納税義務者の信頼にこたえ、⑤租税に関する法令に規定された納税義務の適正な実現を図ることを使命とする。」

税理士法第1条 「税理士の使命」 番号は加筆したもの

この税理士法第1条を分解すると、プロフェッションとしての税理士の最低限の条件が見えてきます。

①税務に関する専門家でなければならない

②独立した公正な立場でなければならない

③申告納税制度の理念に沿わなければならない

④納税義務者の信頼に応えなければならない

⑤租税に関する法令に規定された納税義務の適正な実現を図らなければならない

条文の構成から、⑤は①~④を満たしてはじめて達成されうるものと解して良いでしょう。

これら①から⑤を満たすために、個々の税理士が、①~⑤それぞれに対して具体的に何に取り組んでいるのかを問えば、その税理士がプロフェッションであるか否か容易に判断できます。

しかし、ほとんどの税理士が①~⑤について深く考えたことすらないのではないでしょうか?

それは自分が何者であるかを理解していないだけではなく、その理解に欠いたまま顧客へサービスの提供を行っていることを意味します。

リバティ税理士法人の対応

リバティ税理士法人では、掲げる経営理念のもと、来たる未来 7 を懸念し、プロフェッションとしての精神を有する税理士のみ採用し、当該プロフェッションとしての自覚のない者は採用いたしません

また、当該プロフェッションとしての精神を有さなくなったと判断される税理士には退職を勧告します。

さらに、 当法人の税理士がプロフェッションであり続けられるような「理論としての職業倫理」、「制度としての職業倫理」、「実践としての職業倫理」 の体系化・実践化を試みています。

これらをなさなければ高品質なサービスを提供することは困難であると我々は考えています。

当法人だけでも、これらは実施しなければならないという強い危機感があります。また、当法人からでもプロフェッションの精神が伝搬していき、税理士業全体としての信頼回復に繋がれば幸いと考えています。

参考

弁護士の方がプロフェッションについて述べているこちら(※当法人とは関係ありません)で別側面から解説されていますのでご興味がある方はご覧ください。

Notes:

  1. Mautz,R. K. and Sharaf, Hussein A. (1961), The Philosophy of Auditing, American Accounting Association Monograph, No6, p.239. 意訳している。
  2. 黒川行治「大学院学位授与式祝辞」友岡賛『三田商学研究』(慶應義塾大学出版会、第61巻第1号、2018年4月)、2頁。
  3. 尾高邦雄(昭和53年)『職業の倫理』中央公論社、10頁。
  4. J・ .E・ .ポスト1A・ローレンス/J・ウェーバー著、松野弘・小阪隆秀.谷本寛治 監訳『企業と社会一企業戦略・公共政策・倫理一』(上)ミネルヴァ書房、112ー116頁。
  5. 前掲注2、同頁。( )書き削除等一部加筆修正。
  6. 八田進二(2009)『公認会計士倫理読本』財経詳報社、12-13頁。また、同氏は、具体的な職業倫理の概念的枠組みとして次の3つを挙げています。第1は「理論としての職業倫理」、第2は「制度としての職業倫理」、そして第3は「実践としての職業倫理」であり、これらは相互に影響しあう関係にあるとしています。
  7. 税理士が社会的ニーズ・負託に応えられず、社会から不要と判断される近い未来
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